管理人ご挨拶

2022年11月05日 23:52
カテゴリ: プロフィール
きしむら よしのり

初めまして。

言語聴覚士(ST)のきしむらです。

普段は病院でリハビリの仕事をしながら、

一般の方向けに
吃音を始めとした
言語障害に関する
相談を受け付けております。


こちらのページでは、コラム記事として
吃音や言語療法について
私の考えを本音で発信しています。

まずは簡単な自己紹介をさせて頂きます。

<吃音に苦しむ人生は無意味だ>

  私は幼い頃に吃音を発症しました。
 保育園時代には どもりながらよくしゃべっていたそうですが、
  小学校に上がるといじめの対象となり、
ほとんど話さない子供になりました。 

「あいさつができない」
「自己紹介ができない」
「音読ができない」
「みんなの前で話せない」

 次第にどもることが嫌になって 話すことを止めました。 
周囲の大人に理不尽に叱られたこともありました。   

「誰も自分の辛さを分かってくれない」 
「誰も信頼できない」

 私の思春期は、 親も含めた人間不信ばかりでした。   

クラスの中では、 いわゆる”コミュ障”の生徒でした。 
そんな自分が嫌いで 次第に自分の人生に興味が失せました。 

「吃音に苦しむ人生に明るい未来はない」 
「自分の人生は無意味だ」 

本気でそう考えていました。

<自分に自信が無いから周りに合わせる>

成人するまでの私は、
とにかく
「おとなしい」
「まじめ」
「大人の言う事をよくきく」
いわゆる”良い子”でした。

人とのコミュニケーションを避け続けた結果、
私に決定的にかけていたのは、
自分への自信です。

人は
自分の感情や意思を表に出して、
それが受け入れられる(成功する)
経験を積み重ねることで、
自分を認め、
自信に繋がります。

吃音を理由に
自分の感情や意思を出すことを
してこなかった私には、
自信を持つ経験が
圧倒的に不足していたのです。

だから、

何かを決める時も、
将来の進路を考える時も、
「みんなと同じように」
「親の言うことを聞くように」
していました。

ようするに
目立たないように周囲に合わせていたのです。

そうすれば
色々と楽でした。

そして、
自分で決める経験も不足していった結果、
そのツケが回ってきました。

<自分が何をしたいのか分からない>

私が就職活動をしていた時期は
世に言うリーマン・ショックで
世界中が不景気に陥った時でした。

100社受けても1社も受からない時代。

自分を売り込めない人間に
チャンスが回ってくる筈もなく。

私は
「自分の意思」を
養ってこなかったことを
後悔しました。

働かなければ生活していけない。

焦って自分をアピールしようと
エントリーシートに向き合う毎日。

そして、
自分が何をしたいのかも
まるで思いつかない自分に
嫌気が指しました。

吃音の本当の恐ろしさは、
人生で最も大切な
「自分」
という存在を養う機会を
丸ごと喪失してしまう事でした。


縁あって、
私は言語聴覚士の養成校を受験できました。

吃音に関われる仕事なら
自分にも携われるのではないか…

「自分の意思」がまるでなかった私に
唯一あったアイデンティティが
「吃音で苦労した自分」だったのです。


そこで私は、
メンタルリハーサル法に出会いました。

<吃音者意識からの脱却を目指す>

これまでの自分の経験を含めて、
吃音の訓練とは
「症状が出ないようにコントロールする」
「スラスラ話す方法を身に着ける」
ものでした。

それが上手くいかないと
「吃音は治らない」
「個性と思って受け入れる」
ための方法を模索することでした。

それは、
病院でリハビリを受けても同じです。

ほとんどの臨床家が
吃音をそのように考えていました。


言語聴覚士になるための勉強は
非常に忙しく、
私は自分の吃音の事で
悩む余裕が
ありませんでした。

すると、
症状が目立たない事に気付きました。

「吃音は気にしなければ
勝手に離れていく」

当事者間では有名な説です。

ですが、
その根拠はまるで不明でした。


その答えの一つが、
当時
目白大学で教授をされていた
都筑澄夫先生が考案された
年表方式のメンタルリハーサル法
でした。


最初に講義を聞いたときは、
一種の心理療法か?
と思いました。

ですが、
言語聴覚士としての知見が
身についていくうちに、
この方法が
言語病理学的に
根拠に裏付けられた
言語療法であることを
理解し始めました。

メンタルリハーサル法の目的は、
「症状のコントロール方法」でも
「吃音を受け入れるノウハウ」でも
ありません。

「吃音者意識からの脱却」です。


「吃音は気にしなければ
勝手に離れていく」
これを
科学的に実践するための
方法です。

自分の実体験から、
メンタルリハーサル法を本気で
学んでみようと思いました。

私はようやく
自分のやりたい事を
少し見つける事ができました。
その時には、
自分の吃音の事など
本当にどうでもよくなっていたのです。

<吃音の窓口はとても少ない>

吃音を始め、
言語障害には当事者を社会的に苦しめる
特徴があります。

その辛さが
周りから理解され辛い
ということです。

手足の麻痺は
見てすぐにわかります。

言語は、
喋らなければわかりません。
症状によっては、
簡単な会話ぐらいでは
わからない場合もあります。

周囲から理解されない事は
孤独です。

親であっても
理解者にはなってくれません。


それなのに、
病院を含めて
公共の相談窓口は
ほとんどありません。

言語聴覚士は全国で約3万人、

そのほとんどは
病院で勤務しているので、

一般の方向けに
相談を受け付けている言語聴覚士は
ほんとうにごくわずかです。

その中で
吃音の相談を受け付けているところは、
全国に十数か所程度です。

あまりに少なすぎます。


私は自分で病院に吃音外来を
新設させてもらいましたが、
病院は制約が厳しく、
全てのニーズに応える事は
できておりません。

吃音で悩む人は、
ほとんどが
学生や社会人です。

なのに、
外来で対応できるのは
〇曜日のみ
午前・午後〇時まで

夜間診療など聞いたことがありません。

外来に来てくれる当事者の方は、
片道何時間もかけて
遠方から通ってくれます。

病院で対応できるのは
せいぜい1時間が限度です。

法的算定期限が過ぎれば
納得いかなくとも終了されます。


あまりに厳しすぎませんか!?


私は
メンタルリハーサル法を始めとした
間接法で吃音の臨床をしていますが、
本音では、
別に手段は何でも構わない
と思っています。

ただ、
吃音の当事者が
本当の意味で
自分の人生を歩むためには
「吃音者意識から脱却」が
必要だと考えています。

しかし、
それを伝える手段がない…

病院では吃音を始め、
言語障害は専門外な事が多く
たらい回しされることがあります。

ネット上では
首をかしげるような情報が
散見され、
当事者は混乱するばかりです。


何とかして
一般の方向けの相談窓口を作りたい。


それを実現できる手段が、
ネットを使ったオンラインサービスでした。

<お伝えたい事、私にできる事>

「ことばで苦労しているけど、
誰にも理解してもらえない」

「吃音を病院で診てもらいたいけど
どこに相談していいか分からない」

「スラスラ話すテクニックを磨いたけど
ちっとも楽にならない」

私が経験したような
悩みを抱えている方へ


私には病院で培った臨床経験があります。

ネットの利点を生かして、
時間と場所の制約を受けない
オンライン相談窓口も
受け付けております。

私の考えに共感していただけ、
もし少しでもお役にたてて頂けたのなら
嬉しい限りです。


ここまでお読みいただき
ありがとうございました。

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